法事

法事について

 法事は、亡き人を偲ぶとともに、自らも仏様の教えを聞き、日ごろのわが身を振り返る大切  
 仏事であります。
 一般的に法事は、追善供養(ついぜんくようとして勤めるものと思われているかもしれませ
 ん。しかしながら、真宗では、亡き人をお浄土に還られた諸仏(仏さま)としていただきますの
 で、追善供養ではありません。
 亡き人をご縁として、亡き人(仏さま)は何を願われているのかを問い、ともにお勤めをし、お  
 念仏申し、教えを聞いていく大切な仏事として法事は勤めます。  

「亡き人を案ずる私が 亡き人から案じられている」

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Q&A

Q  一年間の間に御法事が2つある場合は一緒に行ってもよいでしょうか?

A  亡くなられた日が一緒でも無いのに何故一緒に勤めるのでしょうか、一緒に勤めようとす 
   るその理由はなんでしょうか。
   「親類の方に何度もお越しいただくのもご迷惑でしょうし・・・」と申された方が以前おられ
   ました。御法事は何度もお参りに行くことを面倒だと思うような人の為に行うのではない
   でしょう。あなたにとって亡き方は、一人一人かけがえのない人ではなかったでしょうか? 
   そんな方の御法事ですから大切に勤めたいものではないで しょうか。
   亡くなられた方の深い御恩を数回の御法事にていただけるものでしょうか。毎年御法事
   を勤めましょうとは言えませんが、出来うることならば祥月命日は家族みんなで勤めたい
   ものです。


Q  「年忌法事(仏事)」は誰の為に?

A  どうでしょう、亡くなられた人の為と答えられる人が多いかもしれません。しかし最近はど  
   うも親類の手前とか近所の手前というような人がいませんか?自分の為にという人は本
   当に少数でしょう。質問しているのがお坊さんだからそんな答えが返ってくるのかも?
   私は亡き人の為であり、自分の為であり、子や孫の為である。更には御縁のある人
   為。御恩(仏恩を知り、親の恩を知り、師の恩を知り、隣人の恩を知り)を知る為です。私た 
   ちは生まれ、いま生きているその事は、様々な恩(愛情)をいただいてあるのです。しかし
   寂しいことですが、そういうことに自分1人ではわからないし出会えないのではないでしょ
   うか?そして本来的に人間に限らず生きとし生けるものすべて関わりの中でしか生きら
   れないのです。しかし人間だけが1人で生きていると思っているのではないでしょうか?