葬儀

葬儀について

 葬儀とは、私たちの人生において大切な出遇いを頂いた方の命終を機縁として、誰にも避けられない人生の厳粛な事実を見つめる仏事です。

 釈尊は、私たちの人生は、ただ一度だけの限りあるものと説かれました。また、「生・老・病・死」という思い通りにならない苦しみに人生があることを説かれました。

 しかし、私たちは、人間の予測を超えたものが目の前に現れる時、特別に意図しないようであっても、命終わられた方を穢れとして「清め塩」で祓いをしようとしたり、魔除けとして火葬場への行き帰りの道を変えようとしたりします。釈尊の教えは、そのようなものでなく、人は命終わる時、悟りを開き成仏すると説かれています。

 命終された方を「穢れたもの」「魔」と見ること、ただ一度の葬儀がそのような「お払い」や「魔除け」の儀式になることは、大変申し訳ないことです。

 成仏された方のご生涯を偲び、身を以って人生に終わりがあることを教えて下さった事実を大切に受け止め、私たち一人ひとりの日暮らし、生きる拠り所を見つめ直し、ただ一度の人生をいただいた感謝を申し上げることが真宗の葬儀です。

大塚展彦

Q&A

Q  「ご冥福を祈ります」???
A   ご冥福ってなに? 死後の幸せを願うのでしょうか? 何故死後の幸せを願わなければ
   ならないのか? 故人の信仰心が心配だったから願うの? それって失礼でないの?故 
   人を仏様にしていない。霊に、それも怨霊や悪霊にでもしているの? それにそういう思 
   いは自身の信仰が定まっていない「不信」の表裏でしょう。さらに言えば「仏様」のお働き
   自身を信じていないということなのでしょう。 そういう方はご冥福を祈らなければならない
   のでしょう。でも信じていないのに祈るって大丈夫?


Q  「友引」って、友を引いて行く???

A    今年、叔母が亡くなり葬儀にお参りした。お棺の中には人形が一緒に入れてあり、叔
   母が大事にしていたお人形かと思っていたらそうではないと聞かされた、いつの間にか
   入れられていたらしい?? ああー葬儀の日が「友引」だから。それにしても業者さんも 
   色々考えるものだと感心した。 
     しかし「友引」て???可笑しいし間違っている本来「友引」とは正式には「共引」と書   
   きます。これは共に引き合って勝敗がつかないという「引き分け」の意味であり、良くも悪く 
   もないと言う意味なのです。死亡した人が1人では寂しいから友達をつれていくということ
   ではありません。もしそうだと考えられるなら、死亡した人は悪霊か怨霊ぐらいに考えて
   いるに等しいのかもしれません。